みなさんは、子供のころの記憶で「あれは現実だったのかな、それとも夢だったのかな」と思うような、不思議な体験をしたことはありませんか?
「子供のころの記憶なんて大げさなものだ」と人は言うかもしれません。 でも、僕には大人になった今でも、夏が来るたびに毎年はっきりと思い出す、どうしても忘れられない「ある日の午後」の記憶があるのです。
レースのカーテンから差し込む淡い光
それは、小学校低学年の夏休みのこと。 うだるような暑さが続く中で、その日は珍しく涼しくて過ごしやすい日の午後でした。
お腹いっぱいにお昼ご飯を食べたあと、自分の部屋でゴロゴロしているうちに、心地よい眠気が襲ってきたのを覚えています。窓辺のレースのカーテンからは、淡くて優しい光が差し込んでいて、静かに部屋の中を照らしていました。
いつの間にか、僕は深い眠りに落ちていました。
そして、気がつくと僕は、自分の部屋ではない「まったく別の場所」にいたのです。
真っ青な空と、南の島の友達
目を開けると、そこは視界いっぱいに広がる真っ青な空と、底まで透き通るような美しい海でした。白い砂浜に波が打ち寄せる、どこか遠い南の島。
そこで僕は、自分と同じくらいの年齢の、肌の黒い一人の男の子と出会いました。
言葉が通じたのかどうかは、今となってははっきりと覚えていません。でも、僕たちは出会ってすぐに意気投合し、まるで昔からの大親友のように一緒に遊び始めました。
海に潜って一緒に魚を獲り、それを浜辺で焼いて食べたり、彼の優しそうなお母さんが作ってくれた見たこともない美味しい料理をご馳走になったり……。名前も教えてもらったはずなのに、なぜかその名前だけは思い出せません。
時計も何もない世界で、僕たちはただただ、時が経つのを忘れて夢中で遊び続けました。
「右手に握りしめたお土産」と、イルカの帰り道
楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、やがて空が茜色に染まり始めました。 日が暮れる前に、僕は家に帰らなければなりません。
「じゃあ、僕もう帰るね」
僕の家があるのは、ここから遥か遠い日本です。そこまで、海を泳いで帰らなければならない(夢の中の僕にとっては、それが当たり前のことでした)。
お別れのとき、男の子は寂しそうな笑顔を浮かべ、僕に「お土産」を手渡してくれました。それは、夕日に照らされてキラキラと輝く、見たこともないほど綺麗なビー玉でした。
「絶対に、無くさないようにしなきゃ」

僕はその大切なビー玉を、右手にギュッと力いっぱい握りしめました。
そして海へと飛び込み、日本を目指して泳ぎ始めました。帰り道の途中、どこからともなく現れたイルカたちが、僕に寄り添うようにして一緒に泳いでくれました。イルカの背中や水しぶきを感じながら、僕はひたすら右手の温もりを意識して泳ぎ続けました。
目覚めの瞬間、手のひらにあったもの
「……あ、夢か」
ハッと目を覚ますと、そこはやっぱり見慣れた自分の部屋でした。 レースのカーテンからは、先ほどと変わらない淡い光が差し込んでいます。
なんだ、やっぱり夢だったんだ。なんだかすごく寂しい気持ちになりながら、起き上がろうとしたその時。
僕の右手は、なぜか何かを包み込むように、ギュッと固く握られたままでした。 汗ばんだ手のひらを、ゆっくりと開いてみます。
そこには―― 夢の中で男の子からもらった、あの綺麗なビー玉が本当に握られていたのです。
寝ぼけていたわけではありません。そもそも、僕の部屋にはビー玉なんて一つも置いてありませんでした。しかも、それは日本の縁日やおもちゃ屋で見かけるようなものとは違う、それまで一度も見たことがない不思議な輝きを持ったビー玉だったのです。
大人になった今も、あの夏は終わらない
子供のころの記憶は美化されたり、大げさになったりするものだと言われます。
でも、この体験だけは違います。あまりに鮮烈で、あまりに不思議で、僕は大人になった今でも、夏が来ると毎年のようにこの日の出来事を鮮明に思い出します。
あの涼しかった夏の午後、僕は本当に南の島へ行っていたのではないか。 そしてあのビー玉は、僕が現実の世界へ帰るための、たった一つの道標だったのではないか――。
今でも夏の青空を見上げるたびに、僕はあの時名前を忘れてしまった友達と、一緒に泳いでくれたイルカたちの姿を、そっと思い出すのです。
みなさんの夏休みにも、こんな「現実と夢が繋がった瞬間」の記憶はありますか?
