【人生が変わるとき①】大好きな兄が倒れて…

親の介護

昔の話です。私は東北の小さい田舎町の出身で3人兄弟の末っ子でした。東京の私立大学に進学し、卒業してからもずっと関東に住んで仕事をしています。家族は妻と子供2人(当時:小学生1人と未就学児1人)の4人で幸せに生活をしていました。転職をしてから5年が過ぎて仕事も順調だったこともあり、そろそろ今住んでいる町に腰を据えたいと考え、中古ですが4LDKの一戸建てを購入し新たな生活を始めようとしている矢先のことでした。

私の実家は田舎で小さな食料品店を営んでいました。当時は私の父、母、兄、そして兄のお嫁さん(以降:義姉)の4人で暮らしていました。兄夫婦は晩婚で子供には恵まれなかったのですが、夫婦仲は円満で二人でよく旅行に行ったりもしていたようでした。しかし義姉と母の関係は劣悪だったようです。また店の売上げはとても厳しい状況だったこともあり、兄もいろいろと悩んでいたようでした。しかもその当時の父は認知症と診断されていて、トイレを失敗して汚したり、母へ日常的に暴力をふるったり、義姉はその対応や後始末などで心身共に苦労されていました。そんな多くの問題を抱えた兄夫婦に強烈な不幸が訪れます。ある日のことでした、夕食後に兄が脳内出血で倒れて救急車で搬送、そのまま入院となってしまったのです。。。

兄が入院したという知らせは兄が救急車で運ばれた翌日の午前中に実姉から私の携帯にかかってきました。入院した翌日の容態の悪さから義姉から実姉に連絡があったのです。実はこの時私は軽井沢の教会に向かっている高速道路の車の中でした。義弟の結婚式に参列するため私を含めた家族4人と義理の両親2人の計6人が乗った車を運転し移動中でした。私は軽井沢での結婚式参列に少し浮かれた気持ちでいたのですが姉からの電話でそれは一変してしまいました。泣きながら震えた声で兄の状況を話してくる姉の様子に尋常ではない事態をすぐに感じとることができました。「ダメかもしれない。できるだけ早く病院に向かってほしい。私(姉)もこれからすぐ向かうから」とのメッセージを最後に電話を切ると、すぐさまこのことを同乗している皆に説明し、私だけ急遽病院へ向かうことにしました。しかしその前に同乗者全員を教会まで送り届けなければなりません。私は焦る気持ちを抑えて一旦教会に向かいました。教会で待ち合わせをしていた義弟とその奥さんやご両親兄弟、親戚の方に会ってお祝いの挨拶を述べると、すぐさま本日の結婚式に参列できないことを謝罪しました。そしてすぐに軽井沢駅に車で送ってもらい、実家のある北東北の総合病院まで一人で向かうことにしました。

軽井沢駅までは妻の運転で送ってもらいました。結婚式後の着替え用として私服を持ってきていたのは幸いでした。駅まで送ってくれたことの感謝を妻に伝え、しばしの別れを告げました。妻の運転する車が走り去るのを見送ると、一人取り残された私の心の中は様々な感情と想像に支配されていきました。「義弟の結婚式に参列するというワクワクした高揚感から一変した不安な気持ち」、「今まで一緒にいた家族親戚から孤立したような寂しさ」、「久しぶりに実家へ帰る楽しみ、何か得体のしれない恐怖」、「初めて乗車する路線の楽しみ」、「漠然とした不幸な未来の予感」、「兄は絶対大丈夫だという楽観的な思い」、「会社の仕事の心配」、「万が一の場合どうすればいいか?」、「義姉は今後どうなるのか?」、「田舎の店舗運営はどうするのか?」、「認知症の父はどうすればいいのか?」、「もし両親を引き取らなければならないとしたら?」等々・・・。

実家までの道のりは新幹線を乗り継いで数時間はかかります。長い移動時間が私の悩む気持ちを飽きさせることはありませんでした。頭の中に思い浮かぶことといえば、楽観的な希望と悲観的な現実の繰り返しばかりでした。。。。。そして長い時間が過ぎたころ、私はやっと生まれ故郷の地へと到着しました。

👉【人生が変わるとき②】変わりはてた姿に へ続きます。

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